象牙色の立体

映画などについて書きます。

この世界の片隅に

この世界の片隅に」を観た。

 

 

圧倒されてしまったので何を書けばいいかわからないし、書くかどうかさえも迷ったが、これまで観たすべてのアニメ映画の中でも特筆して素晴らしい作品だったので書かないわけにはいかない。

 

この世界の片隅に」は凡百の戦争映画のように悲惨さだけを売りにして、感動や深刻さを押し付けてくるような説教じみたものではない。本作は明白な反戦映画だが、主軸に置かれる最も大事な要素は「笑える」ことなのだ。もちろん感動もできるし、後半かなり泣いてしまったが、それは悲しみというよりは、自然で優しい感動だった。

 

戦後の戦争教育がもたらした宿痾として、押し付けに近い深刻さや悲惨さがなければならないという固定観念のようなものがあったのはよく理解できるが、実際に戦争中の普通の人間たちはどう振舞っていたのだろうか。おそらく、この映画のように過酷な生活の中でも笑いながら、なるべく普通の生活を続けようとしていたはずである。人間が生存を続けるためには、どうにかして普通の生活を行って自分たちを納得させる必要があるはずだ。

 

まず普通の人々には、戦争が始まっているという実感がない。戦争の影響が表れるのは、軍人である幾人かの男性の「失踪」と食事配給の減少である。主人公のすずたちは、そんな状況下でもほとんど弱音を吐かない。弱音を吐かないとはいっても「強がっている」という印象を受けるわけではなく、実際に普通の生活を送ろうとしているだけで、いまはみんな戦っているので自分たちも頑張らないとな、ということをただ漠然と思うような感じである。

 

印象的なのは、配給された一日の食料が煮干し4本と生存するには少なすぎる状況になってきたときに、すずがなんとかして料理を作るシーンである。庭や近所に生える雑草(救荒植物と呼ばれるもの)を使って調理するのだが、描き方によってはいくらでも悲惨にできるシーンだ。でも、この映画ではそこが違う。すずが「ここでタンポポの根を使います!」という感じで作り方を解説していく料理番組のような構成になっており、観ているこちらも「この料理作ってみたい!」と思えるほど楽しく描かれているのである。

 

こういった戦時中の日常のエピソードがかなり速いスピードで連なって描かれたコメディものとして話は展開していくのだが、そんな中で徐々に戦況は過酷になっていく。まずその先鋒として軍港である呉に空襲が始まるのである。監督は軍事系に明るいため(ブラックラグーンのアニメ監督、エースコンバット脚本などを担当しているらしい)、戦闘描写も非常にリアルだ。戦闘機同士の空中戦が行われた現場では(高角砲?)、爆弾がさく裂した破片が、屋根などに降り注ぐという事実を知っているだろうか。私はこの映画で初めて知った。

 

ただそんな状況でも、まだ彼女たちは深刻になりすぎない。それでも普通に生きようともがくのであり、そこで必要になってくるのは笑いである。ある点を超えるまでは。

 

実際この映画は、戦時中の彼らが、どんな状況でも生活していこうとしたことを笑いを交えながらしっかりと描くこと「だけ」が主題の映画なのだが、これによって、人間が持っている生命力の底ぢからのようなものをみせつけられるし、同時に我々の日々の生活の愛おしさのようなものも浮き上がってくる。「戦時中での日常系」と言ってしまえば乱暴かもしれないが、まさに同時代のできことのように、彼らの生活が生々しく描写されているのが、単なる過去反省ものに落ち込んでいない。

 

能年玲奈(のん)が演じる主人公のすずも本当にほんわかしていてかわいらしい。能年玲奈がやはり素晴らしいことを改めて思い知ったし、実力も同時代の女優と比肩して圧倒的である。このような女優がくだらないことで抑圧されるのは全くばかばかしい。その能年玲奈演じるすずちゃんが、呉の空襲が激化したため、8月6日の夏祭りにあわせて実家の広島市内に帰省するかどうかという話になる終盤の展開がある。8月6日は広島市内は夏祭りだったのだ。そして、その顛末は是非映画館で確認してほしい。特に、広島在住の方はこれを今映画館で見ることに重大な意義がある。

 

この世界の片隅に」は反戦教育としても完璧でありながら、だれもが笑って楽しめるという矛盾した構造を内包した、だからこそ素晴らしいとんでもない傑作だ。

 


映画『この世界の片隅に』予告編

 

 

ちなみに電車のシーンで、海田市とか瀬野とかも出てきたよ。