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象牙色の立体

映画などについて書きます。

漫画を映画に換骨奪胎することについての正解を提示した「バクマン。」

バクマン。」はジャンプ漫画の映画化で、大根仁監督作品だ。

 

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配役が逆だといわれているが、観てみるとまったく違和感はない

 

バクマン。は丁度私がジャンプを買っていたころに連載されていた作品だが、熱狂するほどハマったわけではない。内容にロジカルな戦略が多く、少しセリフ的すぎるのが好みに合わなかった。それでも、「PCP」の連載がスタートするあたりまでは一応楽しんで読んでたし、「これデスノートよりも面白いなー」と他と比較するようなクソみたいな感想を言っていた。そんな中途半端な状態だったので、やはり映画化すると聞いても、バクマン。にはあまり期待値が上がらなかった。いや、そもそもバクマン。はとにかく映画化に向いていないと思っていた。ロジカルな内容のため、セリフだらけになるだろうし、ただ棒立ちでセリフをべらべらと並べ立てられただけでは、全くつまらない映画になるだろう。

 

カルト映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーは、ホドロフスキーのDUNEというドキュメンタリーの中で「セリフは演劇的ではいけない。映画は会話ではない。映画はイメージだ。それがうまく見せられていないときに、口で説明する。映像で見せるなら、言葉は削れ。」と言っている。まあここまで断言するわけではないが、べらべらと心情とやらを吐露するだけの映画は好みではない。そして、そういった映画は、邦画大作に多いのも確かだ。大声を出して心情を吐露しあうシーンを観るだけでムカつくのである。

 

映画というのは、フィルムが回ることによって流れるのだ。つまり、映画はイメージであるとともに、運動である。映画内でのあらゆる運動が、疾走感につながり、それが快感をもたらす。人間が走っているシーンが映画には多いのは、走るという運動が直接映画の快感に繋がるからである。

 

漫画に関しても、やはり「絵」なので、重要なのはイメージだと思う。ちばてつや先生は、先週のタマフル「漫画はサッと読んでわかるものでないといけない」という旨の発言をしていた。そういう意味で、バクマン。は論理的な説明描写の多さが気になりすぎて、あまりハマれなかったのだろう。やっぱりバクマン。の映画化には不安だったのだ。

 

 

 

しかし、実際に映画を観てみると、これが凄い...凄い面白い!

 

 

 

とにかく、漫画の映画化の圧倒的な正解を観た気分になった。まず、棒立ちでの会話の応酬はほとんど存在しない。原作通りのロジカルな戦略はあるが、それは一か所くらいでしかない。すべては、登場人物の行動や表情、そして「漫画を描く」という運動によって表現されるのだ。

 

これは、脚本を「主人公たちが漫画を描く」という部分だけに絞り込んで、それをライバルとの「戦い」として描いたことによるものだ。確かに小松奈々は圧倒的にかわいいが、ラブストーリーそのものは主人公たちの最初の動機づけのみになっている。いわば、主人公たちを漫画の道に誘惑する存在だろう。なにせ途中からほとんど出てこなくなるし、むしろ映画では、彼女が去ってから真の勝負が始まるのだ。

 

原作も、ジャンプの漫画家たちを描いた話でありながら、主人公たちが剣ではなく漫画を使ってライバルと戦っていくという、正当なジャンプ漫画になっているのが面白かった。映画ではそれをさらにジャンプ漫画っぽくして、論理的な戦略を除くことによって、映像のイメージや彼らの行動が漫画以上に鋭くなり、それが快感に繋がっている。特に漫画を描くシーンだ。カリカリと漫画を描く音、シュッとGペンで線を引く音、そのときの手の動き、あらゆる運動によってもたらされる映画的な快感に、プロジェクションマッピングによって展開される漫画的表現の快感が組み合わさることによって、堪えきれないほどの高揚感を感じたのだ!

 

なるほど。そういうことか。原作が持っていた王道ジャンプ漫画的要素にストーリーを特化して、漫画を描くという快感を、戦闘として描くという戦略ができたのだ。つまり、私の当初の考えは間違っていたのであり、この内容を映画的快感に昇華できる戦略は、既に監督たちにはあったのだ。そして、この戦略によって、原作が持っていた本来の魅力がさらに強化されているのもすごい。それは、天才である新妻エイジに、凡才である主人公たちが漫画に対する情熱と工夫によって立ち向かっていくという、少年ジャンプ的なテーマそのものだ。

 

私自身がこのようなモノづくりの業界に属しているということもあって、このテーマが純化されていた本作に、全くやられてしまった。自分の分野は海外と比較して資金力もないし、自分も凡才だと思っているので、このように工夫と熱意でやっていくという内容にすごく勇気をもらえたのだった。たとえ天才でなくても、対抗する方法はある。特にラストシーン、これも映画なりの表現だが、やはりどれだけ挫折しても漫画に対する情熱さえあればやっていけるという根拠のない自信だったものが、"イメージ"を通して圧倒的な信頼へとつながっていく描写のうまさに、ひねくれ者の私も普通に感動してしまった。「こいつらならやっていける!」となぜか思えてしまうのだ。

 

とくに最近は、ジャンプ漫画でも、強者や権力者の息子たちが自分の能力に気づいて戦うだけの恵まれた人間が主人公であることが多かったし、じゃあやっぱり「生まれつき才能のある人間しか天下をとれないのか!!」と嫌気がさしていたのだが、そんな漫画に一線を画して、凡才が友情と努力によって勝利を掴む真の正統派ジャンプ漫画に敬意を表してこの映画が描かれていたところに、いつかジャンプでも、再びこのような正統派の大作が大ヒットすることを夢見ずにはいられない。

 

 

 

 

久々にジャンプを買ってみたくなった。