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象牙色の立体

映画などについて書きます。

最近読んだ小説以外の本の話

今回は、最近読んだ小説以外の話をしてみたい。

 

そもそも私は小説以外の本はほとんど読まないのだが、最近その魅力に気付いてきた。これらを読むと"視点"が供給されるのである。個人的に考えていることだが、人生をよりよく過ごすために重要なのは知識ではなく、行動力でもなく、ましてやコミュニケーション力でもない。だいたい自分から「コミュ力がある」と満々に吹聴する人間は好きではない。「コミュニケーションができる」という判断が可能なのは客観からであって、主観からではないからだ。本人が他人とコミュニケーション出来ていると感じているからと言って、相手がどう思っているかは全く埒外である。

 

話は大きくズレてしまったが、人生をよりよく過ごすために重要だと思うのは"視点"である。視点というのは経験を多様化させるため、良き楽しみを労せずして得るには、視点を増やすのが一番なのである。例えば、私が好きな映画ひとつ観るにしても、ストーリーという"視点"しか持っていない人間よりも、画角、音楽、色彩、編集といった多くの"視点"を持っている人間のほうが、一つの映画でもより多くの楽しみが待っているのである。

 

さて私は最近、そのような多様な視点を直接的なり間接的なり我々に与えてくれるのが小説以外のノンフィクションやエッセイなどの本であると気付いた。まったく遅すぎるくらいだ。今回は、そのような最近読んだ小説以外の本について、感想を言ってみる。

 

 

四次元温泉日記

 

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この"温泉紀行"の筆者、宮田珠己氏はそもそも温泉というものが大の苦手らしい。仮にも"温泉紀行"を書いているにもかかわらず、である。筆者はこの本で執拗に「温泉というのは風呂であり、風呂は家にある。わざわざ遠くに行って風呂に入る意味があるのか」と書いている。そんなわけで温泉旅館に初めて行ったとき、同伴したおっさんに、風呂に一泊で何度も入るのが普通だと言われて仰天してしまうのだ。

 

"一泊で七回!信じられん。つまり十四回も服を脱いだり着たりするということではないか。何がうれしくてそんなに労働するか。"と言ってしまうほどである。

 

そんな温泉嫌いの筆者の温泉紀行には、そもそも何が書いてあるのか。

 

それは温泉に特徴的な得体のしれない妖怪的建築である。いくつかの温泉旅館というのは、幾度にも渡る建て増しによって迷路状になり、どの階段がどの廊下と繋がっているのかすらわからず、いくら歩いても風呂にたどり着けないクラインの壺のようになっている。運よくたどり着いたとしても帰り道がわからない。建物の全容をつかみきれず、我々が感知できない妖怪的な何かがそこに潜んでいるのではないかというロマンさえあるのだ。あらゆるものが情報として入手できる現在において、温泉旅館というのは最後の魔窟なのであり、そのような魔窟が、筆者が実際に歩いて作成した見取り図とともに紹介されるのが本著なのである。ちなみに、温泉の効能や食事については興味がないので、ほとんど記されていない。

 

またそのような迷宮だけでなく、そこにある奇怪な温泉も興味深い。例えば、ある奥那須の旅館にある室内温泉では、廊下で着替える温泉がある。つまり、更衣室と廊下に扉がなく、のれん一つで仕切られているだけで丸見えなのだそうだ。それだけならともかく、浴室と更衣室にも扉がない。つまり、廊下から更衣室を貫いて、浴室の湯舟まで丸見えなのだ。そのせいで湿気も館内にダダ漏れだそうだが、なぜか扉はつけないのがロマンである。さらに浴室に入っても薄暗く、加えて四方の壁の三方には巨大な天狗の面が飾っており、湯舟を睥睨しているという。さらに極めつけは、それでいて混浴なのだ。いやはや、これはすごい!!

 

海外に行かないと、もはや新鮮な旅行体験などできないのではないかと考えていた私など目から鱗である。日本にもまだまだ圧倒的魔境が存在しているのだ。そして、温泉嫌いであった筆者が、このような苛烈な経験を積み重ねていくうちにどんどん温泉が好きになっていく成長譚になっているのも面白い。

 

 

謎の独立国家 ソマリランド

 

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 アフリカのソマリアは世界でも有数の紛争地帯であり、最も立ち入りたくない場所のひとつだ。しかし、そんなソマリアの中にソマリランドと呼ばれる未確認の独立国家が存在すると噂で言われていた。その国家は謎に満ちており、ソマリアにありながら、独自に話し合いにより内戦を終結したあと十数年も平和を維持し、しかも国家の大統領を投票といった民主制によって決めているというのである。戦火の中にある謎の平和国家は、どのようにしてそれを維持し続けているのか。その謎について迫ったのが本著だ。

 

本著の著者の高野秀行氏、私はかなり好きなのである。この人はすべて自分で現地に行って調査を行う。アヘン王国潜入記では、世界最大とも言われるアヘンやヘロインのシンジケートである反政府ゲリラの支配区域に潜入して、村の一員になり、その村の様子を克明に記しつつ、アヘンゲシを実際に栽培するところから、生成、実際に使用(!)まで自分で行っているのだ。それにより、彼らの怖さ以外の部分である日常生活というのがどのようなものかというのを詳細に教えてくれるのである。

 

当然そんな著者なので、今回も実際にその足でソマリランドに行くのだが、そもそも入国する方法さえわからない。そこで、出発前に日本にいるただ一人のソマリランド人に助けを求めに行って、現地人で助けになる人物を紹介してもらうというところから始まる。当然ソマリランドは危険かどうかも不明、どこを回れば良いのかも不明な土地なだけに、現地を色々と紹介してもらう人がどうしても必要だったのである。だがその日本にいるソマリランド人から紹介してもらった人物は、なんといきなり大統領なのであった。「行って言えば助けてくれる」のだそうである。第二候補、第三候補として紹介されるのも政府の高官やスポークスマンばかり。これは本当なのか、果たしてこのままでは大丈夫なのかという不安のまま、著者はソマリランドに向かい、国家の謎に挑んでいく。

 

当然日本ではほとんど内情がわかっていないソマリランドと呼ばれる国の実態を克明に記した書籍としても十分に価値があるが、それだけでは堅苦しすぎて読みたいとは到底思えない。だが高野氏のルポの魅力は、とにかく内容が笑いに溢れていることだ。気性の荒いソマリ人の懐に潜りこむために、覚醒植物を齧って団欒する宴会に潜り込んだり、海賊国家の海賊と取引をするとかしないとかいう話自体はものすごいのだが、文章そのものがどこかあっけらかんとしており、酒を飲みながら話を聞いているような感覚を覚える感じでとても心地よいのである。

 

 

体力がなくなったので今回はここまで。