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象牙色の立体

映画などについて書きます。

塚本晋也監督の「野火」

塚本晋也監督の「野火(のび)」を観た。

 

評論家のみなさんの評価が絶賛である上に、あの鉄男を撮った塚本晋也監督の作品ということで、公開劇場館が非常に少ないながらも、帰省時に通過する大阪で途中下車し、シネリブール梅田で無理やり都合を付けて鑑賞した。

 

塚本晋也監督自身については、MGSの小島監督とのつながりによってかなり前から知っていたのだが、作品についてはあまり観ていない。そんな塚本弱者である私でも、「野火」では強烈な衝撃を受けた。今のところ、今年の個人的なベスト映画を挙げるならば「マッドマックス 怒りのデスロード」と「野火」の二本になる。それほどの圧倒的な熱量を持った作品だった。

 

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「野火」は簡単に言えば戦争映画だが、戦車バトルや銃撃戦をみることが出来るわけではなく、もっと個人的な戦争の記憶を追体験するような作品である。戦時中、敗戦も決まったような状態で南国島に放り出され、戦闘をする気力もない状態で、ただ食料を求めて放浪するような状況に陥った人間が、どのように狂っていくのかという過程を描いているのだ。

 

病気によって部隊を追い出された(とはいえその部隊ですら機能していないが)主人公である田村にとっての目先の問題は、食料だけである。部隊を追い出されるときに貰った細く泥だらけの芋を齧りながら、ジャングルを彷徨い歩いていく。病気によって近日訪れるであろう死にどれだけ安らぎを感じようとして諦観的になったとしても、腹は減ってしまうというのはリアルだ。死のうと思っても芋をみつければ泥ごと齧りついてしまう。新鮮な人間の屍体の臀部をみれば、どうしても食欲が湧いてしまう。遂には爆弾によって削がれた自分の肩の肉を食べるほどになる。

 

この映画は究極の状態に陥った人間が、カニバリズムへの選択を強いられるという展開になっていくのだが、これを観客も追体験することになる。そのため、観客ですら人の肉が美味そうに錯覚してしまうような極限状態に、観ているだけで陥れられてしまうのが恐ろしい。ウジが沸いた屍体が水辺を埋め尽くし、黒ずんで膨れた屍体が教会にうず高く積まれているというグロテスクな描写を直視して我々も最初は恐怖を感じるのだが、そのような描写が繰り返されることで、遂には屍体をみても特に何も思わなくなっていくような朦朧とした感覚を感じるようになる。

 

そして、こんな地獄のような状況下で、互いに疑心暗鬼になり、友軍同士で食うか食われるかという泥沼のような無益な展開になっていった末に見せつけられる「狂った人間の顔」は、今まで見た映画の中でも稀に見るような「狂った人間の顔」だった。本来映画に出てくる狂った人間は好きなのだが、本当に狂ってしまった人間の顔を見せられるのは、背筋が凍る。結果的に、余計な教育や言葉などは必要なく、戦争がもたらした現実を学ぶためにはこのような追体験が最も効果的なのだと気付かされた。戦争教育として学校でこの映画を観せるべきとすら感じたほどである。グロテスクな表現も多いが、この映画にはグロテスクな表現に正当な意味がある。

 

あまりの衝撃のため大岡昇平の記した原作小説も読んだのだが、かなり原作に忠実なことにも驚いた。原作小説は詳細な風景描写の中に、主人公の殺人や人肉食への葛藤が描かれているのだが、最終章付近で主人公の狂気へ至った過程への洞察のみは映画版と異なっていた。松岡正剛の千夜千冊の「野火」評によれば、大岡昇平は「野火」のさらなる発展形として書いたとされる「レイテ戦記」において、徹底的に事実の描写を追求しているという。

 

つまりもし、ある戦況によって生じた環境と、そこに放り込まれた人間の心境を徹底的に事実に即して描写し尽くすことが大岡昇平が「野火」に求めたことだとするのならば、塚本版映画の主観的な状況と自然の描写を突き詰めて表現し、これらの体験によって生まれる狂気の洞察に関する部分は観客に委ねるという試みは最も理想的な映画化なのではないかと思い至った。

 

「野火」は塚本監督が20年前から構想していたにもかかわらず、どの配給会社にも出資を断られたため、結局監督自身が主演や監督、脚本などほとんどの役をこなすことによって、想像もできないような低予算で撮影した執念の映画である。にもかかわらず、屍体は圧倒的にリアルだし、自然の描写も豊かで、まったく低予算な印象を一切感じさせない。

 

ともかくこの映画はマッドマックスと同じようにゴタゴタと御託を並べることを恥ずべきような、体験することが意味を為す映画なので、これ以上余計なことを言うことは避けたい。しかし、このような監督の執念が篭った映画は、やはり観られるべき映画なので、こうやって感想を文章として記録する。そもそも公開館数が少ないという問題はあるのだが、映画館に行って「野火」を観ることで戦争の現実というものを追体験して、とんでもない気持ちになるのも夏らしくて良いのではないか。

 

 

 


映画『野火』 Fires on the Plain 予告編 - YouTube

 

 

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野火 (角川文庫クラシックス)

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