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象牙色の立体

映画などについて書きます。

ゼロ・ダーク・サーティ

「ゼロ・ダーク・サーティ」観た。

 

ゼロ・ダーク・サーティはあのハート・ロッカーを描いたキャスリン・ビグロー監督の新作映画。ハート・ロッカーも傑作だったけど、ゼロ・ダーク・サーティはそれを軽く凌駕する傑作だった。

 

ビンラディン暗殺の映画なので、もちろん暗殺シーンは出てきます。ネタバレはもともとあってないような映画ですが、ラストシーンだけはネタバレしません!!それ以外はちょっとしてるかもしれない(たぶん大丈夫です)ので、もしネタバレを極端に嫌う人は後でみてください。

 

あらすじ

ビンラディンの行方を追うものの、的確な情報を得られずにいる捜索チーム。そこへ、人並み外れた情報収集力と分析力を誇るCIAアナリストのマヤ(ジェシカ・チャスティン)が加わることに。しかし、巨額の予算を投入した捜査は一向に進展せず、世界各国で新たな血が次々と流されていく。そんな中、同僚の一人が自爆テロの犠牲となって命を落としてしまう。それを機に、マヤの中でビンラディン捕獲という職務が狂気じみた執心へと変貌。ついに、彼が身を隠している場所を特定することに成功するが……。 (Yahoo!映画より)

 

ビンラディン暗殺を追いつめた一人の女性を描いた、この映画。

 

この映画が傑作だと思った理由。

 

まず、序盤に描かれる911事件。ビンラディン暗殺をテーマにした映画です。ビンラディンがした行為を、序盤で観客に思い出させて、ビンラディンに悪のイメージを作り出さなければならないのは当然です。しかし、序盤での911事件の取り上げ方は、黒い画面に911事件当時の音声を流すだけという、非常に淡々としたもの。これによって、ビンラディンとそれを追いつめる主人公のあいだの善と悪の関係が曖昧になってしまいました。

 

 

そのシーンを映した後に、CIAの拷問シーンを映すのは明らかに確信犯です。ここで、完全にCIAとテロリストとの善悪の関係は対等になります。どちらが正しいのは全く分からなくなり、ただ両者の殺し合いが淡々と繰り広げられていきます。その淡々とした殺し合いが、主人公の顔に投影されます。友人や自分が命の危険にさらされても、主人公は感情できるだけ表すことなく、淡々とビンラディンを追いつめます。戦闘は終盤以外ほとんど描かれません。自爆テロによる突沸する暴力と、疑心暗鬼による恐怖が続く。主人公の苦労をありありと感じます。この緊張感はやっぱり上手いなぁ、と思います。ハートロッカーで表現されていた緊張感がここでもちゃんと表現されていました。

 

 

そして、観客が待ち望んだ終盤のシーン!!

 

ビンラディン暗殺作戦のシーンです。

 

いままでに蓄積された執念と努力が、ビンラディンの暗殺作戦で報われるはずだ、と期待します。しかし、ビンラディン暗殺作戦でも全く高揚感はありません。効果的な音楽もなく、派手な爆発もない。ビンラディンの家族の殺戮が淡々と繰り広げられるだけです。もう、アクション映画好きは完全に取り残されるでしょう(ただミリタリー好きは興奮してしまう運命にあります)。

 

家族を撃つ兵士の狂気が宿った瞳や、同じ部屋にいる両親を自分の手で殺しながらもその子供に「大丈夫だ」という姿。明らかに死んでいる男に、だめ押しで2、3発容赦なく銃弾を叩き込む。ここでビンラディンとCIAの善悪の関係が逆転します。ただ、ビンラディンも911での大量殺戮犯という事実があるため、我々はどちらにも感情移入できず、宙づりの状態に追い込まれます。

 

 

 

暗殺作戦終了後、ビンラディンの暗殺に驚喜する兵士たち。しかし、観客の感情は複雑です。我々は喜べば良いのでしょうか。今までの2時間30分の主人公の(我々の!)苦労は、こんなことのためにあったのでしょうか。喜ぶことの出来ない我々にカタルシスの解放はない。それは、主人公も同じです。ビンラディンの暗殺を聞き、疲れきった表情をする主人公。我々が唯一感情移入できるのは、彼女だけだと気付きます。ここで、彼女と我々の気持ちが強くリンクします。

 

 

「いままでの執念は正しかったのか。」

 

 

主人公と我々は同時に悩みます。

 

 

そして、ラストシーン。観客はここでもう一度、動揺することになります。

 

 

ラストシーンは凄いです。緻密な脚本によってラストシーンの解釈が、完全に「観客」に委ねられるような作りになっています。我々はラストシーンを観てどう思うか?

 

 

ラストの解釈に絶対の正解はなく、

観た人がそれぞれ「どう解釈するか」だけを重視しています。

 

 

そして、この映画に対する「自分の意見」が「主人公の意見」になってしまいます。鑑賞者と映画とのつながりが曖昧になって、一体化するのです。そこで、鑑賞者は「彼らの罪を一緒に背負うこと」を強制されます。ラストシーンの感想次第で、観た本人が善にも悪にもされてしまうです。でも、鑑賞者も主人公も善と悪の区別は最後までつきません。善と悪の区別が曖昧になるのが、復讐の本質です。

 

 

 

 そして、映画が終わったときに、

我々はウサマ・ビン・ラディン暗殺の「共犯」になっています。

 

 

この圧巻のラストシーンは是非観て欲しいです。

ハートロッカーを軽く凌駕する監督最高傑作でした。

 

 

 

 


映画『ゼロ・ダーク・サーティ』 - オリジナル予告編 (日本語字幕)