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象牙色の立体

映画などについて書きます。

マネー・ショート 華麗なる大逆転

私事が終わったので、久々に更新。

マネー・ショート 華麗なる大逆転 を観た。

 

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ブラピの映画会社、プランBが制作。さすがブラピはいい映画を制作しますね。

 

あらすじ

2004年から2006年にかけて、アメリカ合衆国では住宅価格が上昇し、住宅ローンの債権が高利回りの金融商品として脚光を浴びていた。多くの投資家たちがそうした金融商品を買いあさる中で、いち早くバブル崩壊の兆しを読み取った投資家もいた。本作はそんな彼らがどのようにしてサブプライム住宅ローン危機の中で巨額の利益を上げたのかを描き出す。

 

 

早速だがこの映画、サブタイトルのような華麗なる大逆転はない。というよりも「大逆転」は起こるが「華麗なる」ではない。ではどのような大逆転が起こるかというと、「苦痛と絶望に満ちた」大逆転が起こる。もちろんそれではこの映画は売れないので、ウソをつく必要があると思うし、華麗なる大逆転という謎のサブタイトルを付けても構わないと思う。ウォール街サブプライムローンを売った彼らと本質的には同様のことをしているだけの話だ。

 

この映画は、サブプライムローンとは、また世界金融危機とはいったい何だったのか、そして誰によって引き起こされたのか、その真実をもう一度わかりやすく楽しく伝えようという内容だ。安全信仰に支配されていたサブプライムローンが”負ける”ほうにかけた主人公たちの逆転劇を描くというエンタメ作品でもあるが、サブプライムローンの実態を暴き出すというウォール街の告発映画でもある。つまり、この映画の終着点は必然的にサブプライムローンの崩壊になってしまうので、主人公たちが「大逆転」した瞬間に世界経済は崩壊するということになる。これが当然「華麗なる」というめでたい展開になるはずはなく、経済の崩壊で絶望する人々の中で、それにいち早く気付いて反抗した人間の苦渋の表情が映されることになる。つまり、コメディでありながら、深刻なテーマを扱っているマネーショートだが、ストーリー以外にも凄いところはたくさんあった。

 

まず凄いのは、サブプライムローンと2007年の世界金融危機について勉強ができるところ。サブプライムローンが何かわからなくても、唐突に出てきた裸の女子が風呂に入ってシャンパンを飲みながら「サブプライムローンはクソよ!」と我々に向かって説明してくれるし、非常に安心。この映画を見たおかげで、MBSCDOCDSという謎の略語の違いについて説明できるようになったし、さらには合成CDSという、CDSをさらに合成してしまったものについても説明できるようになった。

 

次に凄いのは編集のところ。アカデミー賞編集賞にノミネートされているので、当然編集というのはマネーショートの一つの魅力だろう。この映画はまるでマイケル・ムーア監督のドキュメンタリーのように、色々な資料やネット上の素材を細かく編集して矢継ぎ早に流しながらナレーションを入れることによって、よく分からないがとにかく凄いという感じを強烈に押し出してくる。また、劇映画ながら、登場人物を捉えるカメラはブレまくりでピントもズレまくり、完全にこれもドキュメンタリーを意識している。しかし、ここぞという展開に近づくとキッチリと絵作りを行って、固定カメラでしっかり切り替えしながら撮っていくのがこの映画の不思議なところ。つまり、この映画はそのカットごとにドキュメンタリーだったりサスペンスだったりミステリーだったり、まるで違う映画のシーンを切り貼りしたかのように演出がバラバラで、とにかくやかましいのである。クライマックスに至っては、しっかりクロスカッティングしながら緊迫した展開を作っていくなど、唐突にドキュメンタリーではありえないような演出を巧みに入れてきているところがほかの映画にはないところで面白いし、痺れたりする。

 

最後にすごいのは、「安全信仰」というものの恐ろしさがわかるところ。大部分の人間が、「どんなことがあってもサブプライムローンは絶対に安全だ!」と思っていたとしても、本当に勉強し尽くした上でそう思っている人間は数少ない。ウォール街の人間がどれだけクソでも、この主人公たちのように徹底的に調べ続けないと逆転どころか対処すら出来ないし、実際に世界金融危機では、安全と信じ込んでいた600万人が路頭に迷う羽目になった。安全だと思い込むという選択は、その安全が崩壊して危機的状況に陥った時に取れる選択肢を、絶望するという一択に絞り込むということに他ならない。保険を何も持たないということなのだ。そして、今の日本もこの傾向にあるのは間違いない。ちなみに、マネーショートの冒頭では、マーク・トゥエインのこのような言葉が引用されている。

 

 

"何も知らないことが厄介なのではない。知らないことを知っていると思い込むのが厄介なのだ。

 

 



 

2015年発売の面白かった漫画

それにしても2015年はいい漫画を読んだ。紹介である。

※順位はなく、順不同

※作家の敬称略

 

 

 

 

 

 

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション

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浅野いにおの前作「おやすみプンプン」は、バキバキの構図がとにかくカッコよかったが、内容は死にたくなった。しかし今回のテーマはSFで、今までと比べてかなりポップになっている。そのため、好き嫌いは分かれるかもしれない。ただそれでも、得意技である青春の死にたさも仄かに漂っているし、読者を楽しませようとするギミックも凄い。ただ、全然話が展開していないので、今後に期待。

 

追記:NHKでやっていた浦沢直樹の漫勉でいにお先生がゲストだった回があり、そこで”技量に余裕が出てきた漫画家はSFに走りがち”と言っていたので、本人もまさにそういう状態なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンカムイ

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目というのは、漫画の重要な要素である。そして、ゴールデンカムイに出てくる人間はほとんど全員の目が怖い。何を考えているのかわからない目、いつ人を殺すか分からない人間の目を持った描写に漫画的快感がある。そして、それを観たいので今後も読んでいく。

 

 

 

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目が怖い人間がたくさん出てくるゴールデンカムイ

 

 

 

 

 

 

 

あれよ星屑

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圧倒的な描写力。終戦から70年、当時の混沌をいまだに苛烈な一瞬として生々しく絵に落とし込めるのか。登場人物から感じる笑えるくらいの乾ききった絶望が強く伝わる。兵隊やくざによく似ているが、今村昌平監督の映画と同じエネルギーを感じるので、「兵隊やくざその後」として彼らは今後、戦後の混沌を生き抜く中で大きな野心が出てくるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

死人の声をきくがよい

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このような高レベルのオムニバスホラー漫画が月間連載されているとは、にわかに信じがたい。女の子の可愛さと伝統的なホラー演出がきちんと融合しているところに、ゼロ年代以降の新世代ホラーの萌芽を感じる。

 

 

 

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 幽霊が見える主人公は女の子の幽霊と一緒にオカルトを解決する

 

 

 

 

 

 

 

火星高校の夜

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呪みちるの漫画は初めて読んだが、紛れもない天才。ホラーで必須の”殺しゴマ”※演出もすごいし、それに至るまでのコマ割りも絶妙。ベタな怪談モノの短編でも技量が凄いので十分面白いが、個人的には、博物館にのめり込んだがために異世界に引き込まれる「夜空に消える」や、手品への執着が現実と妄想の境をあいまいにする「ジグ・ザグ・ボックス」など一風変わったものが好み。凄い想像力である。

 

※人間を驚かせるためのコマ

 

 

 

 

 

 

 

枕魚

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以前も紹介した「足摺り水族館」を書いたpanpanyaの新刊。特によかったのは、学校の帰り道に雨が降ってきたので雨宿りして帰る、というだけの話を描いた「雨の日」。読んだだけで雨のにおいを感じ、小学生当時を思い出すような"質感"がある。

 

 

 

solidivory.hatenablog.com

 

 

 

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枕魚の雨が良い雰囲気で降り続く様子

 

 

 

 

 

 

駄目な石

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かなり省略話法を多用しており難解。行間を読む必要があるが、彼らの心情を読めたときに感じる味わい深さに思わず興奮する。同じ作家がトーチwebで連載しているスペシャルも地方の関西弁が炸裂していてすごく良い。

 

 

 

 

 

 

 

成り行き

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つげ忠男。書き下ろしもいい。

 

 

 

 

 

 

 

濁淦 (R-18)

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ヤバい(昆虫とセックスする漫画)。

 

 

 

 

 

 ほかには「お尻を触りたがる人なんなの」「波よ聞いてくれ」や「ダンジョン飯」のほか、宮崎夏次系の新刊が良かった。「櫻井大エネルギー」は狂気的と聞いて期待していたんだけど、結構普通。「みちくさ日記」は当然最高だったが、皆が褒めているので私が書くまでもない。旧作では、モジャ公デビルマンなど、補完すべきクラシックをいくつか読んだ。また、高野文子の棒がいっぽんに衝撃を受けた。逆柱いみりはあまりに狂気的で読んでいて怖くなった。

 

 

以上です。面白い漫画は面白い、ということですね。

 

2015年に鑑賞した新作映画ランキング

2015年新作映画の個人的なランキングです。早速行ってみましょう。

 

 

 

10位. グリーン・インフェルノ

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映画秘宝の先行上映で観れたことが大きい。映画館に食人映画が大好きな人たちが集い、大笑いしながら食人映画を観る。こんな幸せなことが今後あるとは思えない。内容についてもただの食人映画に見せかけて、「異文化を許容する」という大きなテーマに挑んでいることが良い。

 

 


9位. キングスマン

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強烈なブラックジョークが最高。よく考えると前作のキックアスなどとストーリーがほとんど同じだが、それでも観ている間は異常なくらい面白いので構わない。

 

 


8位. スターウォーズ/フォースの覚醒

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ずっと不安だったが、安心した。これだけやってくれれば十分。

 

 


7位. ピッチ・パーフェクト

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ゼロ年代のコメディ演出によって、青春歌モノを革新させた。個人的にはプールで練習するブルーノ・マーズのJust the Way You areが聴きどころ。

 

 

 

6位. 薄氷の殺人

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演出に関しては今年最も独創的で、鮮烈。

 

 

 

5位. ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ

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これほど泣けるストリップダンスシーンがある映画は他にない。

 

 


4位. 海街diary

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超豪華な俳優陣を使いながら、古き良き日本映画の質感を残しているのが良い。最も注目すべきは、広瀬すずの圧倒的な女子中学生感。全国の女子中学生を背負って、一人で体現しているようだ。それにしても原作の雰囲気をここまで忠実に再現できるとは。

 

 


3位. 野火

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「戦争」というエクストリームな環境に観客を放り込むことによって、強烈な体験をさせる。人間の死体はどのような色になるのか、人間が本当に狂ったらどんなに顔が怖くなるのか、それを観るだけで戦争について少しは知ることができるのではないか。低予算にもかかわらず、いつまでも記憶に残る傑作。自主映画はかくあるべし。

 

 


2位. クリード チャンプを継ぐ男

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本年度、泣くという行為を後半40分間続けた映画はこれだけだった。

 

 


1位. マッドマックス 怒りのデス・ロード

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映画というのは色々な種類がある。だか、映画を作っている要素を削って内容を純化していくと、「運動を描写する」という行為のみに集約される。フィルムが常に回転運動することによって映画が生じるのならば、同じように「常に運動を続ける」という内容が、最も単純がゆえに強力なストーリーということである。

 

 

 


次点:バクマン、さらば愛の言葉よ、ジェームズ・ブラウン 最高の魂を持つ男

 

 

 

【おまけ】

2015年に鑑賞した旧作ベスト3

1位. スポンティニアス・コンバッション ー人体自然発火ー (1989)

2位. 赤線玉の井 抜けられます  (1974)

3位. 必殺4 恨み晴らします (1987)

 

 

...というわけで来年も鑑賞本数年間150本ぐらいという、ライトな映画ファンを目指します。

ピッチ・パーフェクトを観た

ピッチパーフェクト観た。

 

最高すぎる映画だった。今年ベスト10に入る。

 

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あらすじ

ダメダメなガールズアカペラ部。唯一の武器は強烈な個性!? 彼女たちが一つになったとき、信じられない音色を奏でだす! 全ての女子を元気づける!キュンかわ♪ガールズムービー!

 

...あらすじの文言がやばいな。実際は全然「キュンかわ♪」じゃなく、超弩級の下ネタ満載、下品上等!ゲロまみれの青春殴り合いムービー!という感じ。キュンかわ♪を目当てにみたらおそらく記憶を失くす。

 

まずこの映画、演出が跳びぬけて面白い。アカペラという今まで使い古されたような題材を、演出と選曲によって全く新しい映画に仕上げている。しかもそれはアカペラのシーンだけに留まらず、BGMも主人公のアナケンドリックがMIXした音楽として見せたり、最初のオーディションのシーンの参加者全員を一つの楽曲で見せたりと飽きさせない数多くの工夫があり、こういった省略話法のおかげで、本来は2時間30分ほどの長さになるはずなのに、2時間以内に収まっているうえに、内容も素早く展開にグルーブ感も生み出している。

 

素晴らしい入部オーディションシーン/一つの曲だけで入部オーディションメンバー全員を紹介する離れ業

 

過激な下ネタや選曲に至るまでも、今までのアカペラやゴスペル映画とは一線を画してやるという挑戦心にあふれているし、 また、そんな監督たちの作品に対する気概が「古かったものを、彼らの特徴を取り入れて新しいものにすることで勝利を得る」というこの映画自体のストーリーと見事に組み合わさっているところも面白い。

 

 

内容自体は緊張するとゲロを吐く部長が主人公の女子アカペラ部で、新入生のアナケンドリックが頑張るという話で、良くあるスポ根王道の物語だし、王道を貫いているのがいい!ということを言っている人も多く見られる。確かに王道をしっかりやることも素晴らしいと思うが、この映画の最大の魅力はラストに至る多幸感だ。

 

まとまらなかったチームが、一旦挫折を味わい、再度それぞれの個性を見直して挑戦して勝利するという普遍的なテーマの中で、この映画が最も変わっている点というのが、ライバルである男子ゴスペル部との関係だ。当然"ライバル"である男子部は、王道ならば、最後は女子部に負けなければならないのが当然だ。そして男子部は悔しがり、女子部は鼻を明かしてめでたしである。ただ、この映画はそうはならない。

 

この映画のラストのアカペラバトルで彼女たちが歌うシーンは、男子部を含めた全員が彼女たちを賞賛し、そして皆で踊りまくるという多幸感溢れる展開になっているのである。ではなぜ、敵対していた男子部も巻き込んでこの"奇跡的"とも言える素晴らしいシークエンスが出来上がっているのか。

 

 


チームが纏まったことを示したアカペラシーンもよい/ブルーノマーズという選曲も絶妙だし、それぞれのパートが始まるところでちゃんとパートを歌ってる人のミディアムクローズアップを撮っているというのが地味に上手い。

 

 

関係ないが、アナケンドリックはマイレージマイライフでカラオケ歌ってた頃から売れると思ってたよ。

 

 

 

 

ーーー以下ネタバレーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

男子部も巻き込んだこの"奇跡的"とも言えるラストの素晴らしいシークエンス。それが実現したのは、男子部の変化も丁寧に描いたことにある。この映画の男子部側のストーリーは、その男子部に憧れているが嫌味な部長のせいで入部できなかった新入生の子がいるのだが、終盤でこの嫌味な部長がこれまた嫌な理由でやめてしまったことをきっかけに、急遽入部してアカペラに挑みそして成功するというサクセスストーリーになっている。男子部もただ負ける、というわけではなく正しく勝利しているのだ。これによって、女子部と男子部のわだかまりを解消するという手段を取っているのが実に上手い。さらにこれによって、アナケンドリックがラブストーリー的展開を見せていた男の子が、男子部の部長的 位置に偶然上がることになり、恋愛と成功のダブル効果で男子部と女子部の関係が自然に修復されて、大団円へと向かうのである。

 

つまり、一見分かりにくいが非常に上手い脚本と、斬新な演出によって確実にエポックメイキングな作品に仕上がっている。これは傑作だ。

漫画を映画に換骨奪胎することについての正解を提示した「バクマン。」

バクマン。」はジャンプ漫画の映画化で、大根仁監督作品だ。

 

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配役が逆だといわれているが、観てみるとまったく違和感はない

 

バクマン。は丁度私がジャンプを買っていたころに連載されていた作品だが、熱狂するほどハマったわけではない。内容にロジカルな戦略が多く、少しセリフ的すぎるのが好みに合わなかった。それでも、「PCP」の連載がスタートするあたりまでは一応楽しんで読んでたし、「これデスノートよりも面白いなー」と他と比較するようなクソみたいな感想を言っていた。そんな中途半端な状態だったので、やはり映画化すると聞いても、バクマン。にはあまり期待値が上がらなかった。いや、そもそもバクマン。はとにかく映画化に向いていないと思っていた。ロジカルな内容のため、セリフだらけになるだろうし、ただ棒立ちでセリフをべらべらと並べ立てられただけでは、全くつまらない映画になるだろう。

 

カルト映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーは、ホドロフスキーのDUNEというドキュメンタリーの中で「セリフは演劇的ではいけない。映画は会話ではない。映画はイメージだ。それがうまく見せられていないときに、口で説明する。映像で見せるなら、言葉は削れ。」と言っている。まあここまで断言するわけではないが、べらべらと心情とやらを吐露するだけの映画は好みではない。そして、そういった映画は、邦画大作に多いのも確かだ。大声を出して心情を吐露しあうシーンを観るだけでムカつくのである。

 

映画というのは、フィルムが回ることによって流れるのだ。つまり、映画はイメージであるとともに、運動である。映画内でのあらゆる運動が、疾走感につながり、それが快感をもたらす。人間が走っているシーンが映画には多いのは、走るという運動が直接映画の快感に繋がるからである。

 

漫画に関しても、やはり「絵」なので、重要なのはイメージだと思う。ちばてつや先生は、先週のタマフル「漫画はサッと読んでわかるものでないといけない」という旨の発言をしていた。そういう意味で、バクマン。は論理的な説明描写の多さが気になりすぎて、あまりハマれなかったのだろう。やっぱりバクマン。の映画化には不安だったのだ。

 

 

 

しかし、実際に映画を観てみると、これが凄い...凄い面白い!

 

 

 

とにかく、漫画の映画化の圧倒的な正解を観た気分になった。まず、棒立ちでの会話の応酬はほとんど存在しない。原作通りのロジカルな戦略はあるが、それは一か所くらいでしかない。すべては、登場人物の行動や表情、そして「漫画を描く」という運動によって表現されるのだ。

 

これは、脚本を「主人公たちが漫画を描く」という部分だけに絞り込んで、それをライバルとの「戦い」として描いたことによるものだ。確かに小松奈々は圧倒的にかわいいが、ラブストーリーそのものは主人公たちの最初の動機づけのみになっている。いわば、主人公たちを漫画の道に誘惑する存在だろう。なにせ途中からほとんど出てこなくなるし、むしろ映画では、彼女が去ってから真の勝負が始まるのだ。

 

原作も、ジャンプの漫画家たちを描いた話でありながら、主人公たちが剣ではなく漫画を使ってライバルと戦っていくという、正当なジャンプ漫画になっているのが面白かった。映画ではそれをさらにジャンプ漫画っぽくして、論理的な戦略を除くことによって、映像のイメージや彼らの行動が漫画以上に鋭くなり、それが快感に繋がっている。特に漫画を描くシーンだ。カリカリと漫画を描く音、シュッとGペンで線を引く音、そのときの手の動き、あらゆる運動によってもたらされる映画的な快感に、プロジェクションマッピングによって展開される漫画的表現の快感が組み合わさることによって、堪えきれないほどの高揚感を感じたのだ!

 

なるほど。そういうことか。原作が持っていた王道ジャンプ漫画的要素にストーリーを特化して、漫画を描くという快感を、戦闘として描くという戦略ができたのだ。つまり、私の当初の考えは間違っていたのであり、この内容を映画的快感に昇華できる戦略は、既に監督たちにはあったのだ。そして、この戦略によって、原作が持っていた本来の魅力がさらに強化されているのもすごい。それは、天才である新妻エイジに、凡才である主人公たちが漫画に対する情熱と工夫によって立ち向かっていくという、少年ジャンプ的なテーマそのものだ。

 

私自身がこのようなモノづくりの業界に属しているということもあって、このテーマが純化されていた本作に、全くやられてしまった。自分の分野は海外と比較して資金力もないし、自分も凡才だと思っているので、このように工夫と熱意でやっていくという内容にすごく勇気をもらえたのだった。たとえ天才でなくても、対抗する方法はある。特にラストシーン、これも映画なりの表現だが、やはりどれだけ挫折しても漫画に対する情熱さえあればやっていけるという根拠のない自信だったものが、"イメージ"を通して圧倒的な信頼へとつながっていく描写のうまさに、ひねくれ者の私も普通に感動してしまった。「こいつらならやっていける!」となぜか思えてしまうのだ。

 

とくに最近は、ジャンプ漫画でも、強者や権力者の息子たちが自分の能力に気づいて戦うだけの恵まれた人間が主人公であることが多かったし、じゃあやっぱり「生まれつき才能のある人間しか天下をとれないのか!!」と嫌気がさしていたのだが、そんな漫画に一線を画して、凡才が友情と努力によって勝利を掴む真の正統派ジャンプ漫画に敬意を表してこの映画が描かれていたところに、いつかジャンプでも、再びこのような正統派の大作が大ヒットすることを夢見ずにはいられない。

 

 

 

 

久々にジャンプを買ってみたくなった。

 

 

 

スポンティニアス・コンバッション ~人体自然発火~を観た!

久しぶりにこれは!という映画を観た。

 

それは「悪魔のはらわた」などを撮ったトビー・フーパー監督の1990年の映画、「スポンティニアス・コンバッション ~人体自然発火~」である。非常に胡散臭い名前だ。

 

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まあ確かに細部を観てみると、いや実際細部を観ないまでも、本当にアラの多い映画である。とにかくツッコミどころを挙げればきりがない。しかし、この映画の持つ圧倒的な緊張感や、孤独からくる悲哀などまさに超能力系スリラーがもたらすべき興奮を純化させたような映画になっているのだ。超能力系のスリラー映画は数あれど、その中でも特筆して素晴らしいと感じた。

 

あらすじ

1955年、ネヴァダ砂漠で行なわれた水爆実験において抗放射線ワクチンを投与され実験台となったジョーンズ夫妻は無事男児を出産した。しかし数日後、夫妻は突然体から火を吹き出し焼死したのである。その男児、実はパイロキネシスを使える超能力少年になっていたのだ。

 

まず超能力系スリラーとは言ったものの、SF的な設定はめちゃくちゃである。水爆実験から体を守るシェルターの耐久度を実験する役目となった夫婦が生んだ子供が、発火能力を持つというものだ。なぜそうなるかという説明もまったく意味不明であり、それぞれの対応も違和感ありまくりだが、おそらく見ているうちに気にならなくなるだろう。それぐらいずっと面白い。ただ、この人体の自然発火現象は天国の炎と呼ばれており、さらにこの息子は水爆実験を行ったりするような原子力を扱う人間を神に代わって罰するような存在になっているため、どちらかというと、宗教的要素の多い映画なのだろう。

 

では、先ほども書いた超能力系スリラーがもたらすべき興奮とは何か。

 

一つめはまず、超能力を持つ人間の無自覚がもたらす緊張感である。この映画でも例に漏れず、青年になった夫婦の息子(ジム)は、普通に日常生活を送っているし、彼女もちゃんといる。「普通に生活してるじゃないか」と思っていたら、しかし、である。主人公が怒りを向けた人間が、翌日になってからなぜか焼死している(彼がその場を離れてから燃えているらしい)という噂が、ラジオや誰かの意見からちらちらと主人公の耳に聞こえ始めるのだ。つまり、観ている観客は彼がパイロキネシスを使えることを知っているが、彼自身はそれを知らないこと、そして、彼がその能力を全くコントロールできていないことがここで分かる。そんな状態で、彼をイライラさせる人間が次々と現れ、彼がそいつらにキレまくるのだ。いつ話し相手が発火するかわからない、常にハラハラとした状態がずっと続く。特に彼女はすごいいい子なので「彼女にだけはキレないでくれ」「彼女にだけはキレないでくれ」といても立ってもいられない...ハラハラする...!

 

二つめは、超能力を持つ人間の孤独である。彼は当然そんな人間なので、元凶となる組織に監視されている。キレると何が起こるかわからないため、周りには誰も寄り付かない。寄り付いた人間がいたとしても、組織の差し金である。

 

彼は能力を使うとその副作用に自分も体の一部が発火するため、最初は彼自身は周りの人間と同じように、自分が突然発火する病気のようなものにかかっていると考えていた。そんな中で彼が今までの境遇に対する悲哀を彼女に語り、彼女に対して信頼を示すといういいシーンがあるのだが、さらに追いつめられると彼女までもが組織にコントロールされていると疑い始めるのだ。本当に悲しいのだが、そんな状態になると、まさにいつ彼女を燃やすかわからない!

 

そして三つめは、ついに自覚的になった超能力によって今まで味わった孤独やうっぷんを爆発させまくる終盤である。能力に自覚した主人公はとにかく何もかも燃やしまくる。そして、自分を生んだ組織や原子力に対して圧倒的な力によって復讐するのだ。この終盤の展開がとにかくぶっ飛んでいる。あらゆる要素がつるべ打ちのように怒涛の展開を見せ、大スペクタクルとともに、自分の苦しみや両親の復讐や彼女への愛や原子力への憎しみなどがすべて混ぜこぜになって、文字通り何もかも燃やし尽くすのである。

 

この終盤の展開はぜひDVDなどで観てほしい。個人的に、単体の映画としては悪魔のいけにえよりも断然面白かった。

 

 

 

さて、余談であるが、超名作ゲーム「フォールアウト3」はこの映画をかなり参考にしていると考えられる。まず、いきなりこの映画は核シェルターの胡散臭い白黒CMから始まるのだが、それはフォールアウト3の核爆弾に対する皮肉の効いた予告編と同じである。また、この映画のテーマ音楽も、フォールアウト3で流れるのだ。

 

胡散臭いフォールアウト3の予告編は映画内のものとよく似ている

 

映画で水爆が爆発するときに流れるテーマソングはフォールアウト3でも使われている

 

というわけで結論としては、フォールアウト3の制作陣は良くわかっているということであった。

 

 

 

最近読んだ小説以外の本の話

今回は、最近読んだ小説以外の話をしてみたい。

 

そもそも私は小説以外の本はほとんど読まないのだが、最近その魅力に気付いてきた。これらを読むと"視点"が供給されるのである。個人的に考えていることだが、人生をよりよく過ごすために重要なのは知識ではなく、行動力でもなく、ましてやコミュニケーション力でもない。だいたい自分から「コミュ力がある」と満々に吹聴する人間は好きではない。「コミュニケーションができる」という判断が可能なのは客観からであって、主観からではないからだ。本人が他人とコミュニケーション出来ていると感じているからと言って、相手がどう思っているかは全く埒外である。

 

話は大きくズレてしまったが、人生をよりよく過ごすために重要だと思うのは"視点"である。視点というのは経験を多様化させるため、良き楽しみを労せずして得るには、視点を増やすのが一番なのである。例えば、私が好きな映画ひとつ観るにしても、ストーリーという"視点"しか持っていない人間よりも、画角、音楽、色彩、編集といった多くの"視点"を持っている人間のほうが、一つの映画でもより多くの楽しみが待っているのである。

 

さて私は最近、そのような多様な視点を直接的なり間接的なり我々に与えてくれるのが小説以外のノンフィクションやエッセイなどの本であると気付いた。まったく遅すぎるくらいだ。今回は、そのような最近読んだ小説以外の本について、感想を言ってみる。

 

 

四次元温泉日記

 

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この"温泉紀行"の筆者、宮田珠己氏はそもそも温泉というものが大の苦手らしい。仮にも"温泉紀行"を書いているにもかかわらず、である。筆者はこの本で執拗に「温泉というのは風呂であり、風呂は家にある。わざわざ遠くに行って風呂に入る意味があるのか」と書いている。そんなわけで温泉旅館に初めて行ったとき、同伴したおっさんに、風呂に一泊で何度も入るのが普通だと言われて仰天してしまうのだ。

 

"一泊で七回!信じられん。つまり十四回も服を脱いだり着たりするということではないか。何がうれしくてそんなに労働するか。"と言ってしまうほどである。

 

そんな温泉嫌いの筆者の温泉紀行には、そもそも何が書いてあるのか。

 

それは温泉に特徴的な得体のしれない妖怪的建築である。いくつかの温泉旅館というのは、幾度にも渡る建て増しによって迷路状になり、どの階段がどの廊下と繋がっているのかすらわからず、いくら歩いても風呂にたどり着けないクラインの壺のようになっている。運よくたどり着いたとしても帰り道がわからない。建物の全容をつかみきれず、我々が感知できない妖怪的な何かがそこに潜んでいるのではないかというロマンさえあるのだ。あらゆるものが情報として入手できる現在において、温泉旅館というのは最後の魔窟なのであり、そのような魔窟が、筆者が実際に歩いて作成した見取り図とともに紹介されるのが本著なのである。ちなみに、温泉の効能や食事については興味がないので、ほとんど記されていない。

 

またそのような迷宮だけでなく、そこにある奇怪な温泉も興味深い。例えば、ある奥那須の旅館にある室内温泉では、廊下で着替える温泉がある。つまり、更衣室と廊下に扉がなく、のれん一つで仕切られているだけで丸見えなのだそうだ。それだけならともかく、浴室と更衣室にも扉がない。つまり、廊下から更衣室を貫いて、浴室の湯舟まで丸見えなのだ。そのせいで湿気も館内にダダ漏れだそうだが、なぜか扉はつけないのがロマンである。さらに浴室に入っても薄暗く、加えて四方の壁の三方には巨大な天狗の面が飾っており、湯舟を睥睨しているという。さらに極めつけは、それでいて混浴なのだ。いやはや、これはすごい!!

 

海外に行かないと、もはや新鮮な旅行体験などできないのではないかと考えていた私など目から鱗である。日本にもまだまだ圧倒的魔境が存在しているのだ。そして、温泉嫌いであった筆者が、このような苛烈な経験を積み重ねていくうちにどんどん温泉が好きになっていく成長譚になっているのも面白い。

 

 

謎の独立国家 ソマリランド

 

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 アフリカのソマリアは世界でも有数の紛争地帯であり、最も立ち入りたくない場所のひとつだ。しかし、そんなソマリアの中にソマリランドと呼ばれる未確認の独立国家が存在すると噂で言われていた。その国家は謎に満ちており、ソマリアにありながら、独自に話し合いにより内戦を終結したあと十数年も平和を維持し、しかも国家の大統領を投票といった民主制によって決めているというのである。戦火の中にある謎の平和国家は、どのようにしてそれを維持し続けているのか。その謎について迫ったのが本著だ。

 

本著の著者の高野秀行氏、私はかなり好きなのである。この人はすべて自分で現地に行って調査を行う。アヘン王国潜入記では、世界最大とも言われるアヘンやヘロインのシンジケートである反政府ゲリラの支配区域に潜入して、村の一員になり、その村の様子を克明に記しつつ、アヘンゲシを実際に栽培するところから、生成、実際に使用(!)まで自分で行っているのだ。それにより、彼らの怖さ以外の部分である日常生活というのがどのようなものかというのを詳細に教えてくれるのである。

 

当然そんな著者なので、今回も実際にその足でソマリランドに行くのだが、そもそも入国する方法さえわからない。そこで、出発前に日本にいるただ一人のソマリランド人に助けを求めに行って、現地人で助けになる人物を紹介してもらうというところから始まる。当然ソマリランドは危険かどうかも不明、どこを回れば良いのかも不明な土地なだけに、現地を色々と紹介してもらう人がどうしても必要だったのである。だがその日本にいるソマリランド人から紹介してもらった人物は、なんといきなり大統領なのであった。「行って言えば助けてくれる」のだそうである。第二候補、第三候補として紹介されるのも政府の高官やスポークスマンばかり。これは本当なのか、果たしてこのままでは大丈夫なのかという不安のまま、著者はソマリランドに向かい、国家の謎に挑んでいく。

 

当然日本ではほとんど内情がわかっていないソマリランドと呼ばれる国の実態を克明に記した書籍としても十分に価値があるが、それだけでは堅苦しすぎて読みたいとは到底思えない。だが高野氏のルポの魅力は、とにかく内容が笑いに溢れていることだ。気性の荒いソマリ人の懐に潜りこむために、覚醒植物を齧って団欒する宴会に潜り込んだり、海賊国家の海賊と取引をするとかしないとかいう話自体はものすごいのだが、文章そのものがどこかあっけらかんとしており、酒を飲みながら話を聞いているような感覚を覚える感じでとても心地よいのである。

 

 

体力がなくなったので今回はここまで。