象牙色の立体

映画などについて書きます。

Apple Musicはマジで最高である

Apple Musicは本当に最高であるという話をしなければならない。学のない方にも改めて説明しておくと、Apple Musicとは月額1000円でクラウド上にある膨大な音楽を聞くことができるというサービスである。このApple Musicを利用すれば、iPhoneiPodの「ライブラリ」にクラウド上の音楽をどんどん追加していくことができる。

 

月額1000円とは、アルバムでいうと1枚以下の価格である。たったこれだけの値段で何兆ものアルバムから好きなものを聞くことができるという事実がどれだけすごいか、ということだ。「そんなことは言っても、あまり自分が欲しい曲がないのでは?」というクソリプをする人もいるだろう。確かに邦楽に関して言えば、君の名は。の主題歌だったスパークルが入ってなかったりなどということがたまにあるのは事実だが、それでもかなりの数はそろってきていると感じる。そして、洋楽に関してははっきりいって無敵だ。

 

そこで、Apple Musicを使って堀った音楽についていくつか紹介したい。もちろんすべてApple Musicで聞けるものばかりである。ではまず邦楽からやっていきましょう。

 

 


the PenFriend Club / 土曜日の恋人

 ビーチ・ボーイズなどを筆頭とした1960年代のソフトロックに影響を受けた邦楽バンド、the PenFriend Club。ビートルズよりもビーチ・ボーイズ派の私にとって、またソフトロック A to Zという本を参考にかつてソフトロックを蒐集した私にとっては大好物な楽曲がそろっている。

 

Bepop 3/ソフトロック A to Z

Bepop 3/ソフトロック A to Z

 

 

 


フジロッ久(仮)/はたらくおっさん 曲は1:23あたりから)

 ロックで全く違う路線でいえば、フジロッ久(仮)が楽しい。フジロッ久(仮)は歌詞やメロディに有名曲の絶妙なオマージュを含ませるのが得意で、この曲はサビに「踊るポンポコリン」が忍び込んでいる(気付くかな?)。踊るポンポコリンの最も有名なフレーズ以外は異なるメロディーなのだが、それでも完璧にマッチしているのが面白い。

 

 

Special Favorite Music/Magic Hour
よく知らないグループだけど良い(調べるべき)。楽曲が簡単に手に入りすぎて、あまりアーティストを調べなくなってしまうのはこのシステムの弊害かもしれない。このバンドは多幸感溢れるサウンドが魅力で、どこか90sポップらしさを感じる(気がする)。この楽曲は特有のグルーブ感と3:18あたりの「coming back tonight ♪」が良い。

 

DJみそしるとMCごはん/ジャスタジスイ

HIPHOPが好きな弟に、最近なんか良いJ-HIPHOPないの?と聞いて教えてくれたのがDJみそしるとMCごはん。かなり有名らしくて知らなかった自分を恥じたが、すぐに登録してヘビーローテーションで聴いている。声もリリックもかわいいけど、実はトラックが結構カッコいい。

 

夢見るアドレセンス/アイドル・レース
夢見るアドレセンスで特筆すべきは、まずメンバー全員がかわいい(最近スキャンダル続きで大変そうですが...)。自分はてさぐれ!部活ものというアニメの声優をやっていたリーダー・荻野可鈴さんを経由して聞き始めたが、楽曲も楽しいものが多くてはまった。残念ながらyoutubeにはないが、"おしえてシュレディンガー"がかなりの名曲。

 

 

 

続いては洋楽について紹介したい。洋楽に関しては、かなり極めの音楽を中心に選んだ。普通のレンタル店やCDショップではおそらく手に入らない楽曲だと思う。

 

I Bisacquei/Kalooky
アイ・ビサキュイー(?)は、何と読めばいいのか良くわからないアーティストだ。その素性は日本語で検索してもほとんど引っかからず、数少ない情報を辿っても「イタリアの匿名ファンクバンドであると思われる」という程度の情報しかない。狂ったオルガンを中心としたヘビーなファンクだが、後半のグルーブ感がすさまじい超名曲であるのは確か。ちなみに収録されているもう片方の楽曲、One more rainy dayもマジで最高。

 


Inaditas / Diane Denoir-Eduardo Mateo 

ウルグアイボサノヴァの至宝、ディアネ・デノイールとエドゥアルド・マテオの未発表音源集。どうやら彼らはファナ・モリーナ(!)の師匠的存在らしいのだが、詳細は不明。楽曲もいいが、ディアネ・デノイールの声も素晴らしい。ボサノヴァをあまり聞かない人が、ボサノヴァを好きになるのではと思うくらいに。

 


The Glitterhouse/Barbarella

バーバレラという1968年のSF映画のオープニング曲で、担当したのはThe Glitterhouseというロックバンドである。もう気付いた方もいるかと思うが、60年代といえばソフトロックだ。このポップな楽曲に乗せてジェーン・フォンダが宇宙服を脱ぐという奇妙な(そして最高な)オープニングがとても有名。ちなみに、この「美女が宇宙服を脱ぐ」というシーンは、ゼロ・グラビティでもオマージュされている。

 

1:25くらいからが該当シーン

 


The Black on White Affair / Auld Lang Syne

蛍の光」をファンクにしたという珍曲。そもそも蛍の光の原曲はスコットランド民謡なので、そちらをファンクにしたといった方がいいだろうけど。最初は蛍の光そのままなのだが、徐々にファンクに変貌していく。

 

Zapp & Roger / Doo Wa Ditty (Blow That Thing)

最後はめちゃめちゃ有名だけど、Zapp!から一曲。そろそろ私がファンクにかなりハマっていることが分かってきただろうか。文章を書くのが面倒になってきたわけではないが、Zapp!は別にどうこういう必要もないくらいとにかく良い。

 

 

Apple Musicの爆誕により、貧困な我々でも数万の曲をiPodなどに入れて簡単に持ち運ぶことができるようになった。金持ちの道楽であった何万曲を超える単位での音楽収集が、月額1000円で可能になってしまったのだ。数万曲の音楽がパソコンに入っていることを自慢するような時代は既に終わり、所有欲を追求する必要はもうなくなった。そして、ただ純粋に良い曲を掘削できる時代が始まったというわけだ。

2016年の映画について

正直を言いますと今年は全く映画を観れていないので、ランキングはベスト5で。

早速ですが宜しくお願いします。

 

第5位. シング・ストリート 未来へのうた

f:id:solidivory:20170105011229p:plain

音楽が人生を飛躍させる瞬間について。

 

solidivory.hatenablog.com

 

 

第4位.人生はローリングストーン

f:id:solidivory:20170105011246p:plain

才能がなく小説家の夢を諦めた記者と、数年後に自殺する超売れっ子作家の5日間の旅行だけを描いた本作。旅行の間に交わす二人の会話が小気味良く、小説を読んでいるような感覚になる。思い返すと人生において特別だったが、前後の生活とは独立したような奇跡的な瞬間のようなものがこの映画には閉じ込められていた。そして、そういう瞬間が旅行にはときたまあったりする。

 


ソーシャルネットワークの主演が出ているのにDVDスルー

 

第3位. クリーピー 偽りの隣人

f:id:solidivory:20170105011141p:plain

例えば、大学で西島秀俊川口春奈に取り調べを行うシーン。カメラがぐるぐると回りながらの撮影もすごいが、それに加えて最初は明るい大学の教室が西島秀俊の狂気の発露とともに薄暗く閉塞的になっていくという超絶技巧にワクワクして仕方がない。

 

 

 

第2位. ヘイトフル・エイト

f:id:solidivory:20170105011548p:plain

豊饒な映画体験といえばヘイトフル・エイトだった。ポール・トーマスアンダーソン監督のザ・マスターを観たときも思ったが、70mmフィルムを用いるとなぜこれほどまで画面が面白く感じるのだろうか。ウエスタンの緊張感や面白さを湛えた映画を新作としてリアルタイムで観られたことに感動。

 

 

第1位. この世界の片隅に

f:id:solidivory:20170105011611p:plain

言うまでもなくオールタイムべストの一本。当時実際に広島に住んでいた方々を生き生きと再現して描写するという試みは、アニメという手法でのみ実現可能な反戦であり、追悼であった。

 

solidivory.hatenablog.com

 

 

 

2016年はシン・ゴジラ放射能火炎が最高だったし、サウルの息子名もなき復讐など大ダメージを受けるタイプの映画も素晴らしく、またゾンビーワールドへようこそアイアムアヒーローなどのゾンビもとにかく凄かった。レヴェナントデッドプールなどは期待が大きすぎた分だけ肩透かしだったが、デッドプールは次回作があれば当然観たい。

 

2017年は、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーや、ドクターストレンジなどのマーベル映画から、スコセッシのサイレンス -沈黙- や「セッション」を撮った監督のミュージカル映画ラ・ラランドなど面白さ保証のものばかりですでに熱い。また韓国映画では、国村隼が裸で暴れまわる哭声 コクソン(「悲しき獣」のナホンジン監督!)アシュラなどもある。さらに、屁をこくハリーポッターの死体にのって無人島から脱出する狂ったストーリーのSwiss Army Man(原題)なども見逃せない。

 

今年はもう少し映画を観ていくぞ...

この世界の片隅に

この世界の片隅に」を観た。

 

 

圧倒されてしまったので何を書けばいいかわからないし、書くかどうかさえも迷ったが、これまで観たすべてのアニメ映画の中でも特筆して素晴らしい作品だったので書かないわけにはいかない。

 

この世界の片隅に」は凡百の戦争映画のように悲惨さだけを売りにして、感動や深刻さを押し付けてくるような説教じみたものではない。本作は明白な反戦映画だが、主軸に置かれる最も大事な要素は「笑える」ことなのだ。もちろん感動もできるし、後半かなり泣いてしまったが、それは悲しみというよりは、自然で優しい感動だった。

 

戦後の戦争教育がもたらした宿痾として、押し付けに近い深刻さや悲惨さがなければならないという固定観念のようなものがあったのはよく理解できるが、実際に戦争中の普通の人間たちはどう振舞っていたのだろうか。おそらく、この映画のように過酷な生活の中でも笑いながら、なるべく普通の生活を続けようとしていたはずである。人間が生存を続けるためには、どうにかして普通の生活を行って自分たちを納得させる必要があるはずだ。

 

まず普通の人々には、戦争が始まっているという実感がない。戦争の影響が表れるのは、軍人である幾人かの男性の「失踪」と食事配給の減少である。主人公のすずたちは、そんな状況下でもほとんど弱音を吐かない。弱音を吐かないとはいっても「強がっている」という印象を受けるわけではなく、実際に普通の生活を送ろうとしているだけで、いまはみんな戦っているので自分たちも頑張らないとな、ということをただ漠然と思うような感じである。

 

印象的なのは、配給された一日の食料が煮干し4本と生存するには少なすぎる状況になってきたときに、すずがなんとかして料理を作るシーンである。庭や近所に生える雑草(救荒植物と呼ばれるもの)を使って調理するのだが、描き方によってはいくらでも悲惨にできるシーンだ。でも、この映画ではそこが違う。すずが「ここでタンポポの根を使います!」という感じで作り方を解説していく料理番組のような構成になっており、観ているこちらも「この料理作ってみたい!」と思えるほど楽しく描かれているのである。

 

こういった戦時中の日常のエピソードがかなり速いスピードで連なって描かれたコメディものとして話は展開していくのだが、そんな中で徐々に戦況は過酷になっていく。まずその先鋒として軍港である呉に空襲が始まるのである。監督は軍事系に明るいため(ブラックラグーンのアニメ監督、エースコンバット脚本などを担当しているらしい)、戦闘描写も非常にリアルだ。戦闘機同士の空中戦が行われた現場では(高角砲?)、爆弾がさく裂した破片が、屋根などに降り注ぐという事実を知っているだろうか。私はこの映画で初めて知った。

 

ただそんな状況でも、まだ彼女たちは深刻になりすぎない。それでも普通に生きようともがくのであり、そこで必要になってくるのは笑いである。ある点を超えるまでは。

 

実際この映画は、戦時中の彼らが、どんな状況でも生活していこうとしたことを笑いを交えながらしっかりと描くこと「だけ」が主題の映画なのだが、これによって、人間が持っている生命力の底ぢからのようなものをみせつけられるし、同時に我々の日々の生活の愛おしさのようなものも浮き上がってくる。「戦時中での日常系」と言ってしまえば乱暴かもしれないが、まさに同時代のできことのように、彼らの生活が生々しく描写されているのが、単なる過去反省ものに落ち込んでいない。

 

能年玲奈(のん)が演じる主人公のすずも本当にほんわかしていてかわいらしい。能年玲奈がやはり素晴らしいことを改めて思い知ったし、実力も同時代の女優と比肩して圧倒的である。このような女優がくだらないことで抑圧されるのは全くばかばかしい。その能年玲奈演じるすずちゃんが、呉の空襲が激化したため、8月6日の夏祭りにあわせて実家の広島市内に帰省するかどうかという話になる終盤の展開がある。8月6日は広島市内は夏祭りだったのだ。そして、その顛末は是非映画館で確認してほしい。特に、広島在住の方はこれを今映画館で見ることに重大な意義がある。

 

この世界の片隅に」は反戦教育としても完璧でありながら、だれもが笑って楽しめるという矛盾した構造を内包した、だからこそ素晴らしいとんでもない傑作だ。

 


映画『この世界の片隅に』予告編

 

 

ちなみに電車のシーンで、海田市とか瀬野とかも出てきたよ。

 

 

最近観た映画...

最近観て面白かった映画

 

・ヘイトフルエイト (タランティーノ映画史上ベスト級、[「ウエスタン」に通ずる画面の面白さ、序盤から全く飽きない演出、どれを取っても無敵)

サウルの息子 (タイトルまでの恐怖演出に心を捕まれた。)

・聲の形 (まいった。これはまいった。)

 

特に聲の形は、本年度ベスト級、本当にすごいアニメ。山田尚子監督は、たまこラブストーリーを超えた映画をここにきて撮ってきた。演出、ストーリー、光、音すべてに映画的快感が詰まっている。この3つはちゃんとしたことを書きたいが、聲の形については必ず感想を書きます。でも言葉にするのが難しい..凄いな...書くぞ。

 

 

solidivory.hatenablog.com

 

...書くぞ。

 

君の名は。

君の名は。」を観た。仕事のアイデアに行き詰まったからだ。私はアイデアを練るとき、散歩をすれば思いつくことが多い。そこで、1時間30分かけて徒歩で映画館に行き、むしゃくしゃしていたので「君の名は。」を観たという具合である(当然1時間30分かけて帰った)。

 

f:id:solidivory:20160910205441p:plain

 

私はそれほど新海誠監督作品に明るくない。彼の作品で観ている映画は「秒速5センチメートル」くらいで、それも友人が「めちゃめちゃ良いから観て!」とさんざん言われたのでいやいや観たというもの。

 

この秒速5センチメートル」は短編がいくつか繋がった作品で、その頃からTVアニメ時代の監督というか、PV時代の監督という印象で、編集や演出にうっとおしいノリがあるなと思ってあまり好きではなかった (実写映画監督でいえば中島哲也みたいなイメージ)。それでも、その中では種子島を舞台にしたコスモナウトがロケットが出てくるし、面白かった。その後、勧められた友人に観たことを報告し、映画の内容について話していると、実はその友人は秒速5センチメートルyoutubeでしか観ていないというオチで、しっかりレンタルしてみた私は「ふざけんな!」と思った思い出がある。

 

そんな中で、アイデアに行き詰まり、むしゃくしゃしてけなしてやろうという思いで映画館に観に行ったわけで、宇多丸さん的に言えば映画の当たり屋稼業である。結果、映画を見終わり、非常に腹が立った。なぜなら、かなり面白かったからである。

 

なんだよ、面白い映画を作るなよ!とはあまりにも失礼だが、逆にこれだけ貶してやる気持ちで行っても、映画が面白ければ、偏見に関係なく楽しめる価値観を持っているという事実を改めて再確認できたことは、謎の誇らしさがあった。

 

くだらない前置きはこの程度にして、君の名は。のいいところはたくさんある。まずアニメーションが洗練されていて本当に気持ち良い。そもそもアニメの骨頂というか、アニメを観て注目していきたい部分はそのままの通り、絵がどう動くかということだと思う。

 

※ ちなみに、アニメ映画とTVアニメのアニメーションの違いは、髪の毛の動きなどキャラクターの動作にも出ている。風によって自由にたなびく髪の毛というのは、映画の予算だからできることなのかもしれない。髪は金なり、とはよく言ったものだ。

 

君の名は。は、髪の動きや、表情を変えるときの微妙な仕草など、非常に些細な部分の描写にこだわりが出ており、それが無意識のうちにキャラクターへの親近感を生み出している。秒速5センチメートル」と比較しても格段に主人公の女の子がかわいいと感じるのはこれだ。特に惹き込まれるオープニングシーンは、かなりスピーディな編集が特徴的だが、おそらく微妙なコマの落としなどのテクニックを上手く使っている(ソースはとっていない)。どういうことかというと、非常にキャラクターがぬるぬる動く場面もあれば、そうでなくダイナミックに動くところもあって、見ていて心地いい。これで生まれる、映像がぐいんぐいんと動く感じがアニメーションとしてすごく新鮮に感じた。

 

こうした丁寧な描写の結果、描かれている人間が「ちゃんといるな」と思わせる妙な実在感があり、これだけリアリティのある背景の中でもデフォルメされた主人公たちが不自然ではない。これのおかげで、特別なシーンのみで描かれる三葉の笑顔が非常に感動的になっていた(あまりにも眩しすぎる)。この笑顔を劇中でちょうど2回しか使わないあたり、監督のさすがな部分である。その結果として、映画館を出た後、もう一回彼らが動いているのが見たいな、と思わせられる威力が生まれている。

 

確かにストーリーに目新しさはないし、ツッコミどころも多い映画ではあるが(後述)、こういった実在感が終始映画に楽しさを与えてくれており、これが映画の欠点を十分に補完していた。この映画がみんなに人気なのもよくわかる。

 


君の名は。予告編

 

 

(以降ネタバレあり)

 

 

ちなみに、映画を観た人は三葉の髪の毛の結びに気付いただろうか。

 

三葉は毎朝、髪を編むシーンがある。あれは組み紐の髪飾りを使っているが、髪の毛そのものについても組み紐のように結んでいる。それがどうした、と思うかもしれないが、組み紐のような方法で髪を束ねる描写が執拗に強調されていることから、これは監督が伝えたいことなのだろう。

 

ではこれはどういうことか。劇中で言及がある通り、組み紐という存在は、時間や身体の交差を表している。中盤で髪の毛を切って三葉が髪を結ばなくなるということは、瀧くんとの交差がなくなったことを示しているのだ。その後、髪を結んでいた組み紐は瀧くんに会って渡したことが判明、この出来事がきっかけで三葉がすぐに髪を切ってしまったことで、髪も結べなくなり、それによって身体の交差が消失したことが分かる。3年後、三葉が隕石の落ちた場所で再び髪飾りの組み紐を瀧くんから受け取ったとき、髪を編まずに普通につけるのは、彼らが身体の交差なしに本当に出会ったから、ということである。

 

また、この隕石の落ちた場所は、奇跡が起こるポイントとして物語の重要な役割を果たしている。これを見て、私は二つの作品を思い出した。それは、タルコフスキー監督のストーカーと、村上春樹海辺のカフカだ。タルコフスキーのストーカーでは、隕石が落ちたとされる場所が出てきて、そこが”ゾーン”と呼ばれる特殊な空間になっており、入った人間は帰ってくることがない。しかし、そこの最深部には奇跡が起こる場所がある!という話だ(これはDARKER THAN BLACKというアニメの元ネタでもあり、これについてもいずれ書きたい)。

 

f:id:solidivory:20160910200810p:plain

草原に霧という雰囲気も合致する

 

 

 

一方で村上春樹海辺のカフカは、中盤、少年が森を進んでいった奥地で、川のある小さな町にたどり着く。この小さな町は実在感がなく、閉じられている死後の空間のようである。これは、森を抜けて隕石の落ちた不思議な空間にたどり着くシーンと雰囲気も含めて一致する。実際に超自然的な現象が理由なく起こる描写などは、村上作品に強い影響を受けているのだと思う。村上春樹の別の作品である世界の終わりとハードボイルドワンダーランドでは、主人公が夢の世界で自分とは違う世界の人間として生きる、という話で、これはまさにそのものである。私自身はこのような作品群に共通する超自然的な部分を君の名は。でも感じられて、そこが気に入ったので、面白いと感じた人はぜひこのような作品もおすすめしたいところ。

 

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

ほかにも、過去に戻って彼女を救うが、大人になりお互いを忘れて結局出会えないというストーリーのバタフライ・エフェクトや、女子と男子が入れ替わるラブストーリーである転校生との関連については言うまでもない。これらはよく論じられることであり、特別な話でもないので言及はしない。

 

最後に蛇足だが、脚本のツッコミどころについても書いておきたい。まずiPhoneの"日記"機能を使っているにもかかわらず、年代がずれていることに気付かないほどおっちょこちょいな三葉はどうか。瀧くんも、カレンダーとか見ないのかね。まあしかし、これは殺人的におっちょこちょいなカップルだな、とごまかすことにしたい。

 

ごまかせないのは、三葉と父親の関係である。深海監督は明確な意思を持って、三葉と父親の関係に焦点を当てており、二人の間にぎくしゃくした関係と強い葛藤を作り出している。当然その後、瀧くんと出会うことで、自分を見つめなおして父親との関係を回復するという展開にしたかったのだろうが、実際はそこが全くエモーショナルではない。最後に父親に避難の直談判に行ったときも、三葉の真剣な表情をみて「おお...」となるだけで、あとはその結果を記事や新聞で示すだけ。最後まで父親は頭の固くてウザいやつというイメージしか残らず、結果的に父親との関係を回復するというカタルシスを生ませること失敗している。葛藤を解消した過程が全く謎なため、これであれば父親に辟易しているというストーリーそのものが必要ない。

 

つまり、隕石落下と二人の恋愛を描くことには成功しているが、父を含めたそれ以外の人間やそれにまつわる展開があまりにもおざなりで実在感がなく、二人だけでよろしくやっているとしか思えない。

 

また、クレーターで3年ぶりに再開した後、瀧くんに「君の名前が思い出せない」と言わせつづけるシーンもうざったい。これはさすがにうるさい。すべてが解決した後、最後に出会ったときに君の名は?って聴くためのフリとして何度も何度も言わせているとしか思えない。さらにそのあと、三葉にも「君の名前が思い出せない」と言わせだしたからさすがに笑った。そもそも記憶もあいまいなんだから、ふっと手を見て「名前何だっけ?思い出せない...」くらいで良いんですけど。丁寧にフリすぎてボケにくいわ、という感じである。

 

隕石墜落後の就活のシーンでも、2人が出会うまでの時間が長すぎて冷める。隕石衝突までのシーンがクライマックスなので、すれ違うシーンを2回も描く必要もない。できれば面接を1,2回やって、すぐ会ってほしい。

 

また、こういった非現実な記憶ものは、現実と虚構を行き来しているうちに自分が精神病なのか、それともこれが本当に起こっていることなのか本人も観客もわからなくなってくるところが面白いはずだ。君の名は。では、瀧くんが新幹線で飛騨に行く場面がそれにあたるはずなのだが、ここでも失敗している。例えば、三葉とのつながりを確認するために携帯の日記を見たとき、日記が"消えていく"のではなく、"そもそも存在していない"とならなければ意味がない。自分の口ではこれは妄想か?と言っているが、その前にこういった描写があるので、観客は「いや、妄想ではないだろ」で終わりである。もっと観客にも、実際は瀧くんの精神がおかしいだけなんじゃないか...?と思わせなければ、その後の三葉への乗り移りが成功したときも全く感動がない

 

最後の場面、二人が再会してからも一言ある。「君の名は。」というタイトルが出てるんだから、二人に「君の名前は?」とセリフで言わせないでほしい。そこは、二人が出会って少し会話をして、見つめあい、お互いが息を吸ったところで、主題歌が鳴るなり、暗転するなりして、そこで「君の名は。」というタイトルだけ出せばもっとうおお!となった。

 

などなどおや?と思ったところもたくさんあるが、それは、このキャラクター二人があまりにも魅力的だからだ。彼らが生きている世界なだけに、もったいないと感じてしまい、どうしても言いたいことが多くなってしまった。さて、感想なんて書いている場合ではない。彼らに会いにいくために、もう一回1時間30分歩くか。

 

 

シング・ストリート 未来へのうた

「シングストリート 未来へのうた」を観た。

まずこの映画、予告編がとにかく素晴らしいので最初に貼る。

 



 あらすじ

1985年、ダブリン。折しもの大不況により父親が失業し、14歳のコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)は荒れた公立校に転校させられる。家では両親のけんかが絶えず、音楽狂いの兄と一緒に、隣国ロンドンのMVをテレビで見ている時だけが幸せだった。ある日、街でラフィナ(ルーシー・ボイントン)を見かけたコナーはその大人びた美しさに一目で心を打ちぬかれ、「僕のバンドのPVに出ない?」と口走ってしまう。コナーは慌ててバンドを組み、無謀にもロンドンの音楽シーンを驚愕させるPVを製作すると決意する。

 

 

物語序盤。主人公のコナー君は一目ぼれした女の子を振り向かせるためにまずは音楽を作ろう、ということで音楽好きの友達に相談する。どんな感じの音楽がいい?という話に。

 

「どんな音楽ジャンルがいいの?」

ジョイ・ディヴィジョン?」

「うーん」

デュラン・デュラン?」

「あれはベースが輝いているね」

 

...ということで、彼らのバンド「シング・ストリート」は一曲目としてデュラン・デュランっぽい曲を作り始める。自分はジョイ・ディヴィジョンが好きなので、そっちが良かったが、さすがに暗すぎるのでデュラン・デュランで正解。楽曲が出来たら今度はMV(ミュージックビデオ)の作成を始めるのだが、このシーンも素晴らしい。実際に自主映像制作や音楽制作を行った人は確実に共感するものがあるはずだ。

 

初めて作ったMV。絶妙にダサいのも最高!

 

例えば、自主映像制作をすると、大抵勝手なことをするやつが出てくる。こっちの話を聞いていない、やりたいことを全くわかってくれない。「ここに立っておいてくれるだけでいい」といっても「何で?」と言って全然立ってくれない。言い争っているうちに他の奴から「ここで月のマスクを付けた人間を出したい」みたいなぶっ飛んだ提案がきてしまって、議論した挙句に無理やり採用する。順調に撮影が進んでいると思ったら、母親がお菓子を持って部屋に入ってきて気まずい雰囲気になる、などなどかなり大変だった。

 

いま挙げた例は実話だし、思い出すと恥ずかしい話だけど、こういったはっきりいって人生でも最高の瞬間をこの映画は決定的に切り取っている。過去を思い出して恥ずかしくなる部分も多数あるけど、それを含めても愛おしくてたまらない。

 

映像制作だけではなく、楽曲作りのシーンもいい。音楽好きの友達宅で制作するのだが、友人が弾くギターのメロディから「ちょっと歌ってみてよ。」ということで、まず鼻歌を入れる(実際ギターリフに歌を入れる瞬間が結構恥ずかしい)。そしてその鼻歌からピアノ伴奏、そして一気にバンド内での演奏シーンにジャンプカットしてグルーヴのある演奏に。ここで、お母さんがお菓子持ってくるというシーンもちゃんと忘れない(!)。それにしても一体この瞬間の多幸感は何だ。マジで最高かよ。まさに奇跡的な瞬間を閉じ込める映画の醍醐味である。

 

この映画の一つのテーマとして、音楽によって過酷な現実を乗り越えるというのがある。貧困なアイルランドの中で、両親も離婚寸前。兄は音楽好きで自分の師匠だが、世間的にみればダメ人間である。そんな中だが、ギグを行うと、両親は仲良くそれに参加し、兄貴がカッコよく登場、観客は熱狂するという空想をみることができる。音楽を演奏することで過酷な現実から理想の世界に一瞬でも連れて行ってくれる。さらにその音楽が自分を変え、そして新たな行動に移す勇気をくれる。音楽が空想を生み出し、空想が自分を変え、それによる行為が現実を変える。

 

大切なのは「行動」である。過酷な現実であっても、彼らにはバンドを立ち上げたという行動があり、下手ながらもMVを撮ったという行動があり、楽曲を作ってギグを行ったという行動がある。結果がどうであれ、行動に移したその瞬間は確実に多幸感に溢れている。ラストシーンに賛否があるのはわかる。そもそも、最後の挑戦はあまりに無謀すぎる行動でおそらく失敗する可能性のほうが高い。しかし、それを行動に移したということ自体が感動的であり、希望になる。そして、この「行動」に移すこと自体が初期衝動、ロックそのものであり、映画の本質ではないか。

 

 

彼らが影響を受けた楽曲の中で一番好きな曲

 

 

 

 

シン・ゴジラ

シン・ゴジラを観た。そして、本年度ベスト級であった。

 

f:id:solidivory:20160801042942p:plain

 

 

はっきりいって序盤はキツかった。会議シーンのチャカチャカとした鼻につくカット割り、最初にちらとみえるゴジラの尻尾のCGの雑さ、英語の発音がさほど上手くない時代錯誤的な出来る女を演じる石原さとみなど、あらゆる不安要素の数々に「これはまずい...」という暗い気持ちが覆った。日本でもうゴジラは無理なのか...辛い...

 

しかし、それを圧倒的にグロテスクなゴジラの登場が救ってくれた。あまりに見た目が気持ち悪すぎる。映画を見ていて「気持ち悪い化け物だな」と思うことはあまりないのだが、シン・ゴジラは気持ち悪すぎてゾッとした。目が死んだ魚のようで、口をだらしなく開けたまま、体液をまき散らしながらどろどろと移動する。そして、気持ち悪すぎて嫌悪感MAXのゴジラ造形により、それまでに定着しきったゴジラのヒーロー性を一旦リセットし、そのビジュアルだけで原典の恐怖の存在としてのゴジラに回帰させた。そこからは、一向に進まない会議や愚かな官僚、これはまるで岡本喜八監督作品のようだ。庵野監督は喜八監督大好きらしいからね。昔激安で購入した庵野監督自身の喜八ベスト「激動の昭和史 沖縄決戦」もう一度見てみよう。

 

実際シンゴジラはほとんど庵野作品そのものだ。なんと会議シーンではエヴァのあの音楽も登場する(しかも3回も!)。庵野監督らしいなーという描写も多数ある。例のフォントは当然として(実際は少し違うらしいが)、BGMとともに鉄道や町の様子が映されるシーンとか、コンテナや鉄塔などごちゃごちゃとしたものを映すところも彼らしい。ゴジラ退治作戦の名前を○○作戦にしてみたり。また、不確かな情報によると、ゴジラとのラストの戦闘シーンに主人公が立っている場所は太陽を盗んだ男沢田研二菅原文太が戦うところなのだそうだ。エヴァ新劇に太陽を盗んだ男の曲が使われていたときは驚いたものである。

 

会議中に流れるあの音楽(臆すことなく使っていて笑った)

 

 

(ここから音楽を流したままでもいいですよ。)さて、日本では上部の決定がすべてである。電話を介して何度もやり取りをしている間に、どんどんゴジラは変態する。指令がないと何もできない。全く攻撃ができない。自衛隊が民間人を爆撃すると世論的にやばいのは確かにわかる。でもうざい。だらだら長い。鬱陶しい官僚制度にだんだんと観客は嫌気がさす。そんな中で、ついにゴジラが覚醒するのである。暗夜の中、ゴジラ放射能火炎をまき散らす。文字通り日本を破壊しつくす姿はまさに神に見えるような説得力。ここでシンゴジラは、CG面では完全に勝っているであろうギャレス監督版ゴジラよりもカッコよく、神々しく、そして恐ろしくなるのだ。

 

その後、すべてを失い一度負けた男たち、官僚のはずれものたちが焼け野原のなかから結託して超法規的手段を作ってまでゴジラを倒そうと画策する。これまでとは異なり、体裁ではなく、ゴジラを倒すという一つの目的に突き進む。ゴジラという神が、腐敗した日本構造を文字通り破壊したことによって、一から理想的な社会構造を構築していくように見える。しかしその刹那に訪れる危機、歩く原爆と呼ばれるゴジラの存在によってもたらされる人為的危機の非常に皮肉な展開、おいおい普通ここまでやるか。この段階では、チャカチャカとしたカメラ割もスピード感を上げて、心地よい興奮を与える。

 

また細かいところで言えば、一度大声で叫んでしまった長谷川博己を落ち着けと諭すような自己批評的シーンも面白かった。同監督の巨人のように、大声で叫ぶだけの映画に碌なものはないというのは、最近では聴き古した理論である。ただそれでも石原さとみだけは最後まで辛かったけど、あれは昔のバブル時代的なヒロインのオマージュなんですかね。そう言えばエヴァも大人同士の会話は片腹痛かったな、と思い出したりもしたが。同じヒロインで言えば、変人研究者の市川実日子が断然良いですね。

 

結果的に、シンゴジラは最近の日本映画には失われたような、非常に強いメッセージ性が込められた映画になっていた。当時岡本喜八本多猪四郎が込めたようなメッセージ性を、現代の大作でも込めたその心意気に感動している。そのメッセージの内容に賛否はあれど「メッセージ性を込めることができた」ということ自体に大きな意味がある。ラストに映し出されたのは原典のゴジラと同じく英霊の象徴だろうが、ここ数年間表現の自由を封殺されてきた映画監督たちの象徴のようにも見えたのだった。シンゴジラがこのまま邦画業界の通念を破壊し、自由な表現が可能な時代に少しでも戻るようなことがあればと願う。

 

ああ今すぐにでも、もう一度、東京を破壊しつくすゴジラを観たい。あの大規模な赤い火焔から、徐々に青みを増し一点に収束していく放射能火炎を地面から上空へ、360度放射する姿を観たい。

 

 


特撮とCGをうまく組み合わせていてCGよりもリアルに見えるシーンは数多くあった